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カヌー界リレーインタビュー! 第7弾

    「カヌー」というつながりでリレーインタビューを始めて早7人目。

    前回は西表島にてシーカヤックのガイドをされている清水さんから、豊かな自然についてお聞きしました。南の島からバトンをつないでいただいたのは、山梨県は富士ヶ嶺に生まれ育った宗形光さん。宗形さんは、多くのカヌースプリント経験者が訪れたことがある精進湖で、小さな頃から多くの時間を過ごしました。

      
    富士山のふもとに広がる青木ヶ原の樹海を抜けて、さらに山をのぼったところに、宗形さんの生まれ育った富士ヶ嶺という地区があります。山梨県最大の酪農地区で、牛の飼料となる牧草を育てる広大な草原が広がります。晴れた日には、どんと立派にそびえる富士山が拝める豊かな大地です。実家が乗馬クラブを経営しているという宗形さんは、自然や動物に囲まれ、物心ついたころからカヌーに取り組んでいました。
    1986年の精進湖での国体開催や、近隣にある本栖湖での1996年の世界カヌージュニア選手権大会開催に端を発し、カヌースプリントクラブが立ち上がりました。家族ぐるみの付き合いをしている同世代の子たちがカヌーを始めるのと一緒に、宗形さんもカヌーを始めました。
    小学校、中学校、高校とそして大学へ進学する中でずっとカヌーに取り組み、宗形さんにとってカヌーは、まさに青春だったといいます。もう筋金入りのカヌーイスト。
       
    「自分にあんまり自信がないんです。」
    シンプルなメイクに貝がらのピアスがよく似合う、凛とした雰囲気の宗形さんは、意外にもそんなふうにおっしゃっていました。
    「見た目からはよく、チャレンジ精神が旺盛と思われることが多いんですが、実際は自分でぐいぐいいろんなところに行くタイプではなくって、結構ためらってしまいます。カヌーも、ずっと人生の真ん中にあったけれど、大学を卒業してから、初めて自分で何かを決めるとなって、自分は何がやりたいだろうと思って、悩みました。教員免許も持っていますし、1年正社員として働いたこともあるのですが、これじゃないと思って辞めて、それからいろいろとバイトもしたりする日々の中で、南の島への憧れがふつふつと湧いて強くなっていきました。」
      
    宗形さんが育った富士山周辺の自然は、とても独特です。
    約1200年前の富士山の大噴火によって、周辺の大地が溶岩に覆われました。ごつごつした溶岩の大地は、栄養が乏しいため、最初に苔やシダが繁殖しました。そして、それらを食べる小動物や小鳥が集まり、動物の死骸やフンが栄養となって、新たな植物が繁殖し、動物が集まってきます。そうして広がった土地が、富士山のふもとの樹海です。周囲と比べて新しい植生であり、多様な生態系が築かれる豊かな地になっていきました。
    この樹海を人生の終着点とする人もいますが、一面に広がる苔むす木々や、夏は緑が萌える樹海は、観光名所にもなっています。ここで暮らしていると、野生のシカやリス、ウサギなどともよく遭遇するそうです。毎日のように見上げる富士山も、降雪や雲のかかり方などで、四季折々の姿を見せます。
    富士山と寄り添って育った宗形さんが、年中あたたかくて、海が目の前に広がる島に憧れたのはある意味自然なことでした。知人のつてをたどり、2016年春、西表島でシーカヤックのガイドとして働き始めました。

    「学生時代の競技カヌーでは、自分は活躍できなかったという気持ちが強くて終わってしまいました。しかし、長く競技カヌーを続けていたからこそできたシーカヤックガイドという仕事。無我夢中で取り組んだ競技カヌー、この経験がなければ宝物のような島での生活はあり得ませんでした。」

    西表島では、シーカヤックのガイドでなければ見られないモノ・経験できないことや、競技とは違ったカヌーの楽しさ、地元とは違う自然の魅力を感じながら、自然に寄り添った暮らしを体感していました。
    お花畑のような珊瑚の上を漕ぎ、ウミガメの群れがカヤックの下をスルスルと泳ぎ抜けます。シュノーケルツアーでは、シーカヤックで沖のポイントまで行き、カヤックの上から直接エントリー。そして、シーカヤックでなければたどり着けない無人のビーチで、輝く海を眺めながらドリップコーヒーを啜る……。

    しかし、またもや転機はおとずれます。
    怪我等を発端に、2シーズンでガイドの仕事を辞めることになりました。潮や波、風、天候や地形、時間帯等、多くのことに神経をとがらせるガイドという仕事柄、島には、女性のシーカヤックガイドがほとんどいません。カヌー経験者というアドバンテージのあった宗形さんでしたが、これらを続けるのは、やはり並大抵のことではありませんでした。
    西表島での出会いや別れ。故郷とは全く違う経験を胸に、自分はこれからどうして生きていきたいだろうと、自身に問いかけます。

    「日本が世界に誇る富士山の裾野に抱かれ育ち、日本が世界に誇る西表島の自然環境に魅了され、振り返ってみると、自分はとても環境や周りの人に恵まれてきました。たくさん与えてもらってきたこれまでの人生。これからはそのすべてに恩返しをしていきたいです。西表島の経験を経て、自然こそ、私たちが子どもたちに残すべき財産なのではないか、と思うようになりました。私たちは地球の自然の営みのほんの一部であり、自然に生かされています。そのことを忘れてはいけないと思います。地球の自然がどのように成り立っているか、どう私たちは自然と共存していけるのか、そんなことを子どもたちと共に考えていけるような人生にしたいと思っています。
    また、カヌーは私のこれまでの人生において、いつでも私に居場所を与えてくれました。これからはそのカヌーが、自然と向き合ううえで有用な手段となるかもしれません。たくさん私を救ってきてくれたカヌーにも、恩返しができたらいいですね。」

    そんな宗形さんは、来春からは、なるべく自然に負担をかけず、自然と寄り添った持続可能な暮らしの体験や、様々な教育・子どもに関する活動やボランティアの経験を積んでいきたいと考えているそうです。

    カヌーとの出会いからは、様々な道が広がります。
    ガイドのお仕事や、自然と共存するという体験・生活など、この記事を通じても皆さんにヒントになると嬉しいですね。

    さて、お次に紹介してくださるのは、こんな方!
    「私が中学生の頃からお世話になっていた方です。自身も専門学校に通いながらトレーニングを積み日本選手権に出場、その傍で地元のカヌークラブの子供たちの指導もされていました。時間を見つけてはクラブの子たちを連れ、精進湖に飛んで来ては切磋琢磨させてくれました。遠征先でも同じチームなのかと不思議に思われる程仲の良かった両クラブチーム。そんな環境を作ってくださった、いつでもパワフルでチャレンジ精神旺盛な方です。ご実家で作られるパンが大好きでした!」

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