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カヌーポロのパイオニア__長利智隆さん

カヌーポロは「水上の格闘技」ともいわれ、国内最大の盛り上がりを見せる「あわらカップ」は昨年2019年8月の開催で第30回目を迎えた。

日本には1970年代後半にはいってきたといわれており、ゲーム性の高さが人気を呼び、競技は盛り上がりを見せるが、2006年を機に変化する。

それまでカヌー連盟単独開催であった「全国高等学校カヌー選手権大会」が「全国高等学校総合体育大会」のカヌー競技として参入する際、カヌーポロは種目から外れてしまったのだ。それ以降人口減少とも相まって、競技大会やチームが減少している。

しかし近年では、2019年にシニア男子日本代表がアジアカップで優勝するなど、年々また存在感を増してきている。

カヌーポロ界のパイオニアこと長利智隆さんは、2000年から現在に至るまで、20年余りカヌーポロ日本代表の監督をしている。

長利さんがカヌーポロと出会ったのは1992年9月。羽田空港のすぐ近くで生まれ育ち過ごしていたある日、弟さんの職場仲間に誘われたのをきっかけにカヌーポロと出会った。27歳のときのことだという。

カヌーポロを始めて一か月。漕ぐのもまだやっとというレベルで出場した東京都大会で、結果は惨敗に終わったそうだ。

 

「当然ですよねえ」と笑いつつも、これが負けず嫌い根性に火をつけた。

まずは、次の年こそ優勝を、とみんなで練習に取り組む。これが「羽田SENBEIS」というチームで、当時のアルバムには「羽田SENBEIS結成!」の文字にはじまり、多くの写真とともに、メンバーの名前、海外へ渡航した際の航空券などが丁寧に残してある。

 

  

「当時のチームメンバーの彼女や友人が、写真を撮ってくれていました。今はもうスマホの時代だから、プリントアウトしたりもしないけれど、2000年前半くらいまではこうしてたくさんアルバムに残っています。どの大会も同じような写真ばかりだけどね。」

 

そう言いつつ見せてくださった写真たちは、カヌーポロを練習する日々や羽田空港沖で初日の出を臨む写真、はじけた飲み会の写真など当時の臨場感が伝わるものばかり。

   

2回目の東京都大会での優勝を目指して、自宅近くの海や鶴見川で練習をする毎日は濃いものだったそうだ。佐倉アドベンチャーカヌークラブ(※現在の佐倉インヴァースの前身)との交流や、カヌーポロ経験のあるアイルランド人やその友人たちの加入により国際色豊かなチームへと変化していったこと、週末は朝から晩まで漕ぎに出て、夕方の銭湯が開く時間に切り上げていたこと。当時すでに結婚して子供もいたそうだが、たまに漕がずに家にいると「今日は練習に行かないの?」と聞かれる、そんな日々だった。

その甲斐もあり、1993年と1994年の東京都大会で優勝。1994年に出場した関東大会では2位という成績だった。

「カヌーポロのチームは、そのころ東京の大会に多いときで7,8チーム参加するほど。東京で勝ちたい、関東で勝ちたい、そこから全国、世界へとどんどん目標が上がっていきました。」

 

 

世界的に見ても、カヌーポロのルールが整備されだしたのは1990年代。
第1回の世界選手権が1994年、イギリスにて開催された。ちょうど長利さんはそんな変革期も目の当たりにしていた。2年に1回開催される世界選手権に向け、日本代表になるべく練習を重ね、1998年ポルトガルで開催の第3回カヌーポロ世界選手権に出場を決める。

 

「正直、この頃の選考は、あまり納得のいくものとは言えませんでした。後にも先にも自分が日本代表に選ばれ、世界選手権にいけたのもこのときだけです。」
チームスポーツならではの選考の難しさはあると思うものの、納得のいかない選考が胸にのこり、選手生活引退後も、カヌーポロに携わることになる。2004年に愛知県で世界大会の開催を控えていたこともあり、長利さんは監督になることを決めたそうだ。

 

「監督に就任してから、写真にあるようにたくさんの思い出がありますね。監督として初めて海外の大会にいったのが2001年の香港で開催されたアジア大会規模の大会だったのですが、そのアフターパーティーで口に大量の桃饅頭を入れた選手のアゴが外れて救急車を呼ぶ事態になったときは、大変でした。船上の会場だったから、モーターボートで救急隊が来てもう大騒ぎで、監督人生が終わったと思いました。笑」

 

「いまになると、だんだん若手が育ってきて、皆、娘や息子のようにかわいいですね。自分が選手だった時代も、カヌーポロを始めたのが遅い方だったので、仲間内では年長者の方でした。今では二回りも三回りも年下の選手と一緒にチームになってゲームをすることもあって不思議な感じもしますがそれも楽しいですね。」

 

「カヌーポロを始めたころは、勝ちたい、という気持ちからスタートして今までいろんな人に支えられてここまでやってきました。今も、選手たちを見ているのがとても楽しいと思います。やめられないなぁと感じますね。」

 

 

写真アルバムにもたくさん残されていたように、カヌーポロの競技だけでなく一緒に過ごす人たちとの毎日が、笑いあり涙あり騒動あり、長利さんの人生に溶け込んでいるようなそんな印象だ。

 

 

競技人口の減少など、これから普及に向けて取り組みたいことはたくさんあるというが、ショットクロックというルールの追加により、見る側もよりハラハラドキドキする面白いスポーツへと変化している。これは、決められた時間内に必ずシュートを打たなければいけないというルールで、このルールの追加によってゲームの展開が早くなったという。
今年2020年の夏は、イタリアで世界選手権が開催される。
今世界の舞台でベスト8を目指している男子チームにも注目だ。ぜひ、見てみてはどうだろうか。

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