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パラカヌースプリントのパイオニア__小山真さん

    パラリンピックの起源は、戦争から帰ってきた兵士のリハビリテーションだったという。

     

    戦争で負傷した兵士たちに向けて、病院内で「手術よりスポーツを」という概念で、スポーツ競技会が開催された。そして、オリンピックとの同時開催を重ねていく中で、大会としての知名度などを獲得してきた。今はとくに、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関する情報が多く、パラスポーツもかなり認知度が向上してきたという肌感覚だが、以前はパラスポーツというくくりではなかったという。

     

    今回取材を受けていただいた小山真さんは、パラカヌーという認知が向上するより前からカヌーに取り組んできて、現在は東京パラリンピック出場に向け、練習を重ねる日々を送っている。

    https://youtu.be/G5_ePLO7jDg

    「私は先天的に二分脊椎症という障害があり、両脚がうまく使えませんでした。この障害を持つと、運動習慣が持ちづらいこともあり、肥満になりやすいんです。それを心配した両親が脚に負担がかからないスポーツということで、カヌーを見つけてきました。」

     

    父親の実家が戸田市内という縁もあり、10歳のときから戸田ドルフィンカヌースポーツ少年団にてカヌーを始めた。初めてカヌーに乗ったときには、水上の目線や水と近い感覚も新鮮だったが、みんなと同じことができるというのが新鮮だった。

    始めた年から、全国少年少女カヌー大会(※全小)に出場し、中学では全国中学生カヌー大会(※全中)に出場した。パラカヌーという概念はなく、皆と同じレースに出場する。

    (中学時代)

     

    「自分としては、当たり前という感覚です。障害を、先天的なものと後天的なものに分けたとき、私の場合は先天的なものだったので、こういう風に体が動くのが当たり前。先天的な障害の場合、脚などの外部的なことだけではなく内蔵の疾患も抱えている場合も多く、そこはスポーツをする上で難しいところでもあります。」

     

    「自分では艇を運べないので、父親がいつも練習についてくれていました。父は私が小学生のころから戸田ドルフィンで練習についてくれていましたし、当時のチームのコーチだった畑満秀さん(※元オリンピック代表)等多くの方からいろいろ教わり、少しずつ技術指導などもしてくれていました。埼玉県艇庫は学校を超えた同年代の選手が使用していたので、高校に進学してからも、学校の違う選手とワイワイ練習をしたり、国体のフォアを組んだり楽しい日々でした。」

    (高校時代)

     

    高校2年生のときに組んだフォアは、直前で体調が悪化し、緊急入院し、その後手術。出場はかなわなかったが、高校3年生の神奈川国体の年は、シングルで埼玉県代表を勝ち取った。小山さんの中では大きな成果だという。この結果をきっかけに、大正大学へと進学を決めた。

     

    大正大学での練習は日本トップクラスで、練習についていけないと感じることも多くあったという。先天的な障害の一つである水頭症の症状の悪化もあり、練習に出られない期間もあった。

    大学3年生の夏を目前にして、当時のチームコーチに、マネージャーへの転向を指示された。

     

    「すごくショックでした。スポーツ推薦で入学したので、練習や結果が出せないとなるとそういう指示があるのもしょうがないことではありますが……。その指示があってから半年くらい練習に行かなくなりました。みんながいない時間を狙って漕いだりもしたけど、そのころの記憶はあんまり正確ではないですねえ。1年生のとき関カレで、いろんなタイミングも巡って尾野藤さんたちとフォアやリレーに出場したのは、嬉しくてよく覚えています。」

     

    こうして小山さんが、パラスポーツという概念ではなくカヌーに取り組んでいた一方で、障害者カヌー協会が歩みを始めていた。1995年、障害者カヌー協会は奈良県吉野川でカヌーに乗って楽しみを感じた方たちによって結成された。時は2010年へと移り、パラカヌースプリントが、国際カヌー連盟の中で世界選手権に競技種目として取り入れられる動きが進んでいた。この時小山さんは29歳。大学卒業後は月に1,2回ほどカヌーに乗る程度になっていたが、2010年5月お台場で開催されたドラゴンボート大会を観戦に行った際、2010年8月の世界選手権でパラカヌースプリントが実施されるので日本代表選考会への出場を打診された。

     

    大阪で開催されたパラカヌーの大会。今でいう日本パラカヌー選手権の第1回にあたる。このとき出場者は全部で10名前後。当時の艇のレギュレーションはカヌースプリントと違い、日本に艇はなかったため、シーカヤック艇で実施された。カヌースプリントとの違いを感じつつも、世界選手権の切符を手にし、初めての世界選手権への出場。

      

    (大阪での選考会のようす)

     

    「以降はパラカヌーの選手として、日本選手権(9月に石川で開催)や海外派遣選手選考会(香川で3月に開催)に出場をするのですが、大学時代は学内で選抜されず出られなかったので、出場できる喜びがありました。また海外の大会の雰囲気を感じて、それまでは出艇する選手に『頑張って』と言っていたのを『楽しんできて』というようになりましたね。」

     

    (2010年ポーランドでの世界選手権のようす)

     

     

    2016年のリオパラリンピックから、パラカヌーは正式種目に認定され、現在少しずつ選手が増え、レベルが向上してきている。また障害の程度に応じたクラス分けや2020年の東京パラリンピック開催もあり、知名度が上がってきているのを感じる。

     

    「現在は、東京パラリンピック出場に向けて練習を取り組んでいます。2020年3月14日・15日に開催される国内最終選考会があり、そこで日本の代表として選考されることはまずは通過点、そしてその後5月のワールドカップでの結果によってパラリンピック出場がかかっています。かなり厳しい戦いですし、最近は本当に選考会のようすが夢に出てくるくらいなんですよ。それくらい緊張感もあるなと思うけれど、ある意味そのステージに立てていることを楽しめるようになってきている自分もいます。」

    (2019年の選考会のようす)

     

     

    東京パラリンピックを機に、これからの活動について聞いてみた。

    「私としては、最初にお伝えしたように、特に先天的な障害を持つ人やその親に対して『かわいそうだ』とか『〇〇なのに頑張っている』とみられる風潮を取っ払っていきたいと思います。自分自身、当たり前と感じて生きているのをそういう見方をされることによって殻にこもってしまったり、スポーツをやるきっかけを逃しているのならもったいないと思います。だからこそ、自分自身がゆくゆくはパラカヌーの指導をしたいという目標もあります。」

     

    現在、実際にパラカヌーを始めたばかりの選手にアドバイスをしながら漕ぐこともあるという。今週末カヌーホーム主催のエルゴ大会でも、パラカヌーとカヌースプリントの選手は同じレースで漕ぐ。壁を取っ払って、カヌーを盛り上げていこう。

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