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1964年の東京オリンピック出場、東山日出夫さん。

「俺もカヌーをやっていたんだなぁ。自分でも信じられないよなぁ……。」

 

そう語り始めてくださったのは、東山日出夫さん。

1964年の東京オリンピックでカヤックシングル1000mに出場されました。

カヌーを始めたのは、大正大学に入学してから。

高校までは、地元長野県佐久市にて、水泳に取り組んでいました。

教師だった父親は、東山さんに勉強しろ、勉強しろ、と口酸っぱく伝えていたそうで、高校時代の水泳もやめろやめろの嵐。大学でカヌー部に入るということにも猛反対だったそうです。

 

東山さんが大正大学に入学をしたのが、1962年。東京オリンピックの2年前です。

当時は、カヌーが正式にオリンピック種目に決まったということで、企業や体格のいいほかの競技のスポーツ選手が一斉にカヌーを始めました。また東京オリンピックのカヌー会場に決まった相模湖にも連日のように報道陣が押し寄せるほど注目されていたのだとか。

そんな中、水泳をやっていたアドバンテージが生き、東山さんは2年生の時にドイツで開催された世界選手権に出場します。

 

「当時は、1ドル360円くらいの時代。1ドルではガム一つしか買えない。日本では40円くらいで買えちゃうもんだから、それくらい海外との違いが大きくて、びっくりしたよ。道路もみんな舗装されているし、街並みも日本と全然違ってね。そのときは、ドイツが大会へ招待をしてくれて、かなりの費用を持ってくれたから、手持ちで持っていったお金が余るくらいでね。帰りにパリで、みんなでおいしいものを食べたり、楽しんで帰ってきたよ。」

 

「自分たちにとっては、とにかく東京オリンピックの日本代表になるっていうのが目標。カヌーでは引きの動作が大事だと思ったから、都電の吊り輪をもらってきてゴムチューブをつけてね、それで200回くらい毎日毎日ひいてたよ。それに、メトロノームを鳴らしながら同じリズムで懸垂をこれまた200回くらい。ずうっとやってた。ちょうど200回ぐらいが1000m分くらいと思ってて、身体が小さかったからとにかくたくさん身体を鍛えたんよ。」

東山さんが大学1年生からカヌーをはじめ、2年生で初めての世界選手権に行った時、父親にもういいだろう、と言われたそうです。

3年生の時にも世界選手権出場もつかむこととなり、東山さんがあまりに一生懸命やっていたものなので、やっと、東京オリンピックまで頑張りなよ、と応援ムードに変わったとおっしゃっていました。

今回の取材では、意外にも東京オリンピックのレースそのものの話題というより、その前後のカヌーにまつわるいろいろなお話を、鮮明に語っていただきました。

本田大三郎さんの息子さんが小さい身体でパドルを動かす真似をするのが可愛かったことなど、そういう話を懐かしそうにお話ししてくださりました。

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1964 Tokyo Olympic K1 1000m Final

Gold        Peterson,Rolf (SWEDEN)         3′ 57″ 13

Silver       Hesz, Mihaly (HUNGARY)        3′ 57″ 28

Bronze     Vernescu, Aurel (*RUMANIA)  4′ 00″ 77    (*原文通り)

 

SF 4th       Hideo Higashiyama                4′ 17″ 44

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東京オリンピックを終えてさらに、カヌーへの熱は燃え上がり、翌年1965年にルーマニアで開催された世界選手権にも遠征します。こちらは当時往復70万円をかけてシベリア鉄道で会場に向かったというから驚きました。また当時の1万円は今でいう10万円。高校時代の先輩に頭を下げてまわり、地元の市町村からの補助をもらって、遠征に行ったといいます。

 

大学を卒業して現役選手を引退し、カヌー部の先輩の紹介で、高崎のシャッター会社に入社しました。そこで小学生にカヌーを教え、のちに佐久市に戻ってからも、仕事の傍ら中学生にカヌーを教えます。

 

「中学生のごったく(※悪ガキ)にカヌーを教えてね、海へキャンプに行ったり、大会に出たり。でも仕事の傍らカヌーを教えるっていうのをやってみて、こりゃ金と暇がないとできねえなと思ったよ。佐久で自分の会社を始めてしまったらもう続けれんなあ……と思ったね。そうして、仕事に専念することにしてから、もう全くカヌーからは足を洗うことにしたのよ。」

 

役員としてのタイミングも重なり、このころを境に全くカヌーから離れたといいます。

すると、本人もびっくりするくらい、カヌーへの情熱というものは薄らいでいったそうです。

冒頭の言葉にあるように、なぜあんなにカヌーに熱中していたか、本当に自分でも不思議だとカラカラ笑っていらっしゃいました。

 

「とはいっても、カヌー部の仲間との縁はずうっと続いていてね、今でも毎年旅行に行ってるよ。この年になると国内だけど、海外もよく行ったな。やっぱり仲間は大事。カヌーは、自分のアイデンティティだなって今でも思うよ。縁があったから、カヌー部があったから、俺たちは巡り合えたから。そういうスポーツの経験は、俺にとって一つも無駄にならなかった。それは本当に思ってるよ。」

 

カヌーと出会ったことが、こうして一生の縁になるなんてぐっときますね。

本人が、「びっくりするくらいカヌーへの情熱が薄れていった」とおっしゃっていたのはとても印象的でした。ですが、これほど当時のことを鮮明に覚えているのは、やっぱりカヌーが大切だったということなのでしょうか。

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