一般社団法人カヌーホームは、カヌー愛好家からトップ競技選手まで、すべてのパドラーを応援します。

想い

    こんばんは!理事の江盛咲子です。
    一区切りの機会に、少し文章を書きました。

    * * *

    「カヌーカヌー、カヌ~~、カヌー!!!」
    大学4年生の春、私は、入学したての女子新入生たちに向かって叫んでいました。「カヌー」という言葉しか発せられないキャラの私と、それを翻訳しながらカヌー部の魅力を語る部員役と、そんな2人からカヌー部への勧誘を受ける新入生役という3人編成での寸劇でした。

    私が所属していた京大カヌー部は、女子選手を集めるのに苦労していて、当時、女子選手は私含めて4回生2人のみ。このままだと部門が消滅してしまう。何とか、何とか多くの新入生にカヌーを知ってほしい。どんな形であれカヌー部が1番印象に残って、1人でも多くの子が体験会に来てほしい。カレッジスポーツのラクロス部や、強くて有名なボート部にも負けないパワーワードは何か。必死で頭をひねった結果、そんな奇策をとることに。そのおかげか、その年の新歓はいつもより女子が多く来てくれて、がんばり屋な2人の女子選手の入部もあり、何とか部門消滅は免れたのでした。

    大学生時代を振り返ると、生活の中心は、常にカヌーでした。
    その後も気が付けば今も、生活の中心は、カヌーです。
    今回は、私のカヌーライフをかいつまみながら、皆さんにお伝えしたいことを書いていこうと思います。

    私が、カヌー部に最初に出会ったのは大学1年生の春のことでした。
    「こんにちは!京大カヌー部です!明日琵琶湖でカヌーの体験会をやっているんですが、予定は空いていますか?」
    一本の電話が、予想外な人生につながることになろうとは、このときはまだ知りません。
    カヌーと出会った日のことで覚えているのは、曲がりたい方向と逆側を漕ぐのが難しくて慣れなかったこと、先輩たちがすごくもてなしてくれて楽しかったこと、みんなで食べるご飯が本当においしかったこと、また行きたいなと思ったこと。

    案外早く心は決まって、カヌー部に入部をしました。
    それからの毎日は新鮮さの連続でした。初めて沈せずに練習を終えられた日があって、500mを漕ぎ切れた日があって、でも気を抜くとパドルを止めてしまって、そんな繰り返しの中で少しずつタイムを縮められ、確実に前進していました。初めてのレースでは、ゴール直後に沈しました。ゴールができていたかそのときはわからず、結果が出るまでに泣いてしまいました。
    冬になると、凍てつく寒さの中での乗艇。漕ぐにつれ体はあたたまるものの、沈すると心臓までキュッとするような感覚が怖い。真冬の乗艇が辛すぎて、暖かい艇庫に戻ってから泣いてしまったこともありました。よく泣く癖はこのころからです。

    4年間を通して、ほとんどカヌーのことを嫌いにならずにずっと頑張っていけたのは、同級生の相方のおかげだったと思います。冒頭のように、女子が少ない部だったので、それはもうライバルとしてとてつもなく意識してしまう相手でした。私より常に真面目で、荷物が整理整頓されていて、練習を一切さぼるようなところもない子です。
    最初のころは、切磋琢磨して勝った負けたと競い合っていました。が、日ごとにひねくれたライバル心が育ち、何度喧嘩したか数えきれないほどです。コソコソ隠れて練習し、そんなにやっていないふりをしたことなんかはまだ軽いほうで、一緒にチームボートに乗ってもふてぶてしい態度を取ってコミュニケーションを取ろうとせず、キレられたこともありました。逆に、シングルの練習を一緒にしていて、実の無い根性論を投げつけ、泣かせてしまったこともありました。もう少し素直になっていれば、もうちょっと良い選手になれていたでしょうね。笑 こう書くと、とんでもなく仲が悪い感じがしますが、好きと嫌いは表裏一体なもので、お互いのおなかの調子まで常に把握しているくらい、何でもよく話していました。

    最後の年は、お互い主将と主務という立場だったので、より密にコミュニケーションをとる必要がありました。女子選手が2人になっても、チームの中で存在感を示すためにも、4年間のくされ縁だった彼女と最後に最高のレースをするためにも、最後のシーズンにかける思いが強くありました。

    そして、迎えた、引退ラストレース。
    インカレの5,000mでした。苦楽を共にしてきた相方とのペアでの、最後の、レース。4年間で一番気合を入れて臨みました。

    が、スタートして、400mで沈。

    もう頭の中が真っ白で、はりつめていた気持ちの糸も一気に切れてしまって、救助艇が近づいてきたとき、自分たちで艇に復帰したら失格じゃないけれどどうしますか、と聞かれたときも、もう何も考えられずに、やりません、と言いました。
    勝ちへの執念はそんなものだったのかといわれてしまいそうですが、引退を前にはりつめていた緊張がバチーーンとはじけてしまった感じでした。

    自分はカヌーを通じて何を学べたんだろう。
    主将として、何を背負ってきたんだろう。
    チームチームと言いながら、チームのメンバーに何を残せただろう。
    しばらくは、思い出すたびに涙が止まらないくらい、それはそれは手が付けられない状態でした。もうここには書けないぐらい、引退後1年くらいの生活は荒れに荒れ、たくさんの大切な人におんぶに抱っこ状態でした。その当時は、支えてくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。
    何はともあれ、そんな風に一度、私のカヌー人生は幕を閉じました。

    ただ、カヌーのことを思い出すたびに、最後のレースのことを思い出すのと同時に、今までお世話になってきた先輩や、後輩、同期、親、OBOG、先生、いろんな方との大切な出会いがあったことと、そうした方たちが、引退してからも温かい言葉をかけ続けてくれたことや、そうした付き合いは、これからも太くなったり細くなったりしても、続いていくと思えたことも同時に感じました。

    大学を卒業してからは、もともと決めていた通り、一般企業に就職をしました。
    カヌーとは縁もゆかりもない企業です。地元でカヌーを漕いでいたわけでもなければ、全国転勤の仕事を選んでしまった私は、大学卒業後、カヌーを漕ぐという選択肢はあまり考えられませんでした。

    会社に入り、カヌーをやっていたという話をすると、何度話しても話題に上がるときにボートと言い間違われました。カヌーって、どこで体験ができるの?と聞かれても、赴任先の茨城や福岡や鹿児島のどこで漕げるかなんて、ほとんど知りませんでした。そして、唯一ホームと思えていた大学のカヌー部も、3年も経つと一緒に練習に励んだメンバーは皆卒業してしまいます。そうやって、いつの間にかカヌーとどんどん疎遠になっていく感覚がありました。私にとってのホームとなるカヌーは、どんどん過去になっていきました。

    赴任先の鹿児島県では、やっぱり漕ぎたい!と思い、知り合いづてに教えてもらったRiver Sports Clubでカヌーを漕がせてもらっていました。それは、とてもとても有難いことでした。
    オープンに受け入れてくださっていたにもかかわらず、ぐるぐる疑問が回ることも多くありました。
    日々忙しい仕事の中で、カヌーを漕ぐ時間をどうつくるか、自分は何を目指しているのか、そもそも何かを目指さないといけないのか、カヌーって何が楽しいのか。
    間違いなく水上で漕ぐのは楽しくて、でも、そんな気持ちで煮え切らないでいたところに、当法人代表の尾野藤から、声をかけられました。カヌーの仕事をしないか、と。
    カヌーが、日本一のスポーツになるゴールに向かって、いっしょに活動しないかと。
    思いがけないチャンスでした。めちゃくちゃ夢のある響きでした。

    カヌー競技を引退したら、急にカヌーとの距離が遠くなって思い出になってしまう人が大半だとしても、まだこれからくる未来は、違う形をつくっていけると思いました。
    個人的には、とくに、とても強烈な悔しい思いのまま、カヌーが過去になってしまうのも嫌だし、出会った人たちに少しでもカヌーで良いものを見せたい、もっというと、自分のアイデンティティであるカヌーのことを認めてもらいたい!という気持ちも、強く私を突き動かしました。人生は一回きりだから。

    そう心を決めてから、カヌーホームという名前をつけ、ロゴやキャッチコピーを作り、少しずつ準備を進めました。
    やりたいことが本当にたくさんあるけれど、何をすれば効果があって、どういう順番で積み上げていけば目標を達成するのか、そもそも目標設定も、最大多数の最大幸福になっているかな。手探りの中で、活動がスタートしました。文字通り、走りながら考える、もとい、漕ぎながら考えるような日々の始まりです。 「オリンピックで金メダルを獲得する、そんな選手を輩出する」

    これは、カヌーホームが最初に描いた夢であり、目標です。代表の尾野藤が、情熱的に旗を振りつづける未来です。自身が日本代表として活躍し、オリンピックを真剣に目指していたからこそ、強く切望しているところもありましょう。しかしこの夢が、カヌーに関わる全ての方たちにとって幸せな未来となるよう、活動していきたいと思っています。

    その実現には、1人の知恵や想いや行動力では足りません。
    そこで、カヌーホームの活動の取りかかりとして、大学のカヌー部を取材させていただいたり、47都道府県を回らせていただいたり、各種目の大会に顔を出させていただいたりと、まずは現場に足を運ぶことを大切に活動してきました。大学のカヌースプリント部というごく限られた経験しか私にはなかったということもあり、1か所1か所に行かせていただくたびに、1人では見きれないほど多くの現場や、1人1人が積み上げてきた想いや活動のおかげで、今のカヌー界があるということを痛感する日々でした。

    47都道府県の旅にあたり、各県協会の方、先生方、生徒さん、たくさんの方にお世話になりました。この場をお借りし、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

    また並行して、自分が取り組んできたカヌースプリントだけでなく、スラローム、ワイルドウォーター、カヌーポロ、ドラゴンボート、カヌーフリースタイル、カヌーマラソン、オーシャンレーシング、パラカヌー、SUP等それぞれの種目の方から、ぜひ取り上げてくれとお声がけを頂くことも増えてきて、有難い限りです。

    さて最後に、この記事を読んでくださっている皆さんに、おききいただきたいことです。

    カヌー界には、どれくらいの人口がいると思いますか?

    全日本カヌー連盟の登録人数は約6,000人。そして、各地での話やデータをもとに、算出した答えは、約2~3万人。
    現役選手から、日本のカヌー界のレジェンドたちまで含めてそれくらいは確実にいます。
    日本の人口からすると、たったの約0.02%ですが、1人では会いきれないくらい沢山の人数です。
    その誰もが、カヌーに対しての思い入れや、あるいは所属していたカヌー部でのたくさんの思い出、恩師との出会い、大切な仲間との出会い、経験があると思います。

    小さな母体、それでも大きなエネルギーを持った母体。
    カヌーホームは、その数万人が一緒になり、またそのエネルギーで周囲を巻き込んで、カヌー界や日本のスポーツ界を前進させていくようなダイナミックな動きを創りたいと思うのです。

    トレーニングやイベントの情報が交換できる場所がある。
    カヌーの種目間を超えて、トレーニング交流がある。
    カヌーといえば、この競技とわかってもらえる。
    これからの世代が、カヌーを存分に楽しめる環境がある。
    競技生活を引退しても、家族や友人と気軽に漕ぎに行ける場がある。
    大会が、たくさんの観客であふれかえっている。
    プロのカヌー選手が出てくる。
    一生カヌーと携わって生きていける。

    たくさんの夢の実現のために、カヌーホームが存続し、これからのカヌー界をみなさんと共につくっていくために、皆さんの力が必要です。
    その方法として、私たちは寄付という形をとらせていただいています。
    一般認知も低いような、6,000人規模の市場で成り立つ商売は、ほとんどありません。それが、カヌーで食べていける人の少なさでしょう。カヌーホームが非営利法人であるのは、そのためです。

    一人ひとりの力を大きな動きに変えていくために、私たちは、月額300円からの寄付へ登録してくださる方を、まず2,000人というのを今年の目標に掲げています。
    カヌーホームの夢や目標に共感して下さり、ご協力をいただけるという方には、ぜひ下記のページから寄付のご登録を頂けますと幸いです。

    https://canoehome.yamato.design/donation/

    * * *

    最後に、もしここまで読んでいただけましたら、ぜひシェアよろしくお願いいたします。

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    カヌーホームでは、日本のカヌーをよりかっこいい!と思っていただけるような環境づくりに向け、活動してまいります。
    カヌー界を支え、盛り上げていくために、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

    当法人は、広くカヌースポーツの普及および振興に関する事業を行なうことにより、国民の心身の健全な発達に寄与し、又は豊かな人間性を涵養することを目的とし、その目的を資するため、活動してまいります。
    つきましては、誠に恐縮ではございますが、当法人の趣旨にご理解をいただき、御支援を賜りたく、ここにお願い申し上げる次第です。

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